編集部レポートvol .6|【2023年9月号】天然鮎を売るひと、広めるひと 林大介さん・平野三智さん

続いて編集部がやってきたのは「道の駅 よって西土佐」。
天然鮎以外にもツガニや山間米、米ナスなど地のものがたくさん集まる交流拠点です。
ここではよって西土佐の林駅長と鮎市場の平野さんに“天然鮎を売るひと、広めるひと”の視点からお話を伺いました。

鮎を食べることは川を食べること

四万十川の支流「目黒川」で釣れた鮎

鮎は1年魚。
そこにロマンがある、そう林さんは語ります。
「鮎は川で生まれて、稚魚になったら海で過ごして春には川の苔を食べに戻って来る、そして秋にまた海へ下って産卵する。そして冬には寿命を迎えてしまう。鮎は藻を食べて育つので冬には食糧が尽きてしまうんです。でもだからこそその年の鮎はその年の川の環境がダイレクトに詰まっているわけです。山のミネラルが川に流れ込んで、藻となって鮎がそれを食む。地域の生きる力そのものですね。」
「四万十の山から川、そして海まで1年間その土地の自然を力いっぱい知り尽くした存在なんです。鮎を食べることは、川を食べること。だからこそ川のロマンを語るには鮎が一番ぴったりだと思います!」
四万十川は196㎞も続く河川です。
山あいを縫うように蛇行することで四万十特有のエネルギーを持った川はたくさんの生命の源となっています。
「ぜひ来てほしいですね。みなさんに食べていただく鮎が、どんな環境で育ったのか…確かめてほしいと思います」。
文章だけでは伝えきれないその土地の温度感があります。

自分たちの川が認められた気がした

道の駅よって西土佐の林駅長。四万十川と鮎のロマンについて話してくださった。

「今、川魚ってどこで食べる?」その問いにふと記憶を遡りました。
「学生の頃の集団宿泊研修の時と、旅館の夕食…?」何とか絞り出して答えると林駅長はうんうんとうなずいて、「そう、現代の人って川魚を食べる機会がぐんと減ってますね。かつて山間部に住む山の民にとって川魚は重要なたんぱく質だったのに、今では料亭や旅館で食べる珍しいものになってしまった」と話します。
日本の昔話に描かれるおじいさんとおばあさんが暮らす家には大概囲炉裏があって、川魚が串に刺さってぱちぱちと焼かれています。
まさに万人がイメージする日本の原風景の一つといえるでしょう。
生活文化として根付いていたにも関わらず、いつの間にか川の恵みは私たちにとって珍しい存在となっていきました。
そんな危機的ともいえる状況のなかでも、四万十川流域には鮎漁や鮎を食べる文化が今日まで続いています。
「だからね、私たちにとっても鮎は当たり前で特別なものでもなかったし、豊洲市場の仲買さんが『天然鮎を食べたことがない』と言われた当初は本当に驚きました」
それが変わったのは平成20年代に入ってからのこと。
冷凍発送で地方に向けた発送をスタートさせ、今まで卸していた魚屋や旅館以外にも広く知ってもらう機会になりました。
「その後生かした鮎を豊洲に卸しました。はじめはショックでね…『四万十の鮎を日本の台所でもある豊洲市場が知らないなんて…』と。でも実際に食べてもらって評価してもらった時は嬉しかった!地元の川と川の恵みが報われたような気持ちで」。
この出来事をきっかけに四万十川の天然鮎は次第に広まっていくことになりました。

道の駅よって西土佐誕生!

2016年、四万十市西土佐に道の駅が新しくオープンすることになりました。
鮎市場の市場町を続ける気満々だった林さん。
しかし、道の駅の駅長を地域外から公募する流れになり、思わず待ったをかけました。
「道の駅ができるってことは、地域の人たちがそこに産品やら加工品やらを卸して、地域の人が元気になる場所やないといかんわけです。だからこそ『駅長は地域の人がやるべきや』と言うたら『じゃあ林さんでえいと思う』と言われて…今に至るわけです」と笑う林さん。
道の駅のコンセプトは「てんねん」。
「鮎だけやない、米も野菜もなんもかんも西土佐は天然物の宝庫。むしろ天然物しか採れん!豊洲市場に生き鮎を卸した時に思ったのは『天然物』の価値の高さ。私たちにとっては当たり前でもそれは恵まれたことながです。モノもヒトも混じりけのない「てんねん」であることが西土佐のキャッチコピーになると思いました」。
林さんが道の駅の駅長になるタイミングで鮎市場を任されることになったのが平野三智さん。

鮎市場の平野さん。気さくでこの明るさが鮎市場を照らしている。

それまでは四万十楽舎という四万十川をフィールドにした体験施設でおよそ17年間働いていました。
「道の駅の前にあった『ふるさと市』を手伝っているうちにあれやこれやと鮎市場を任してもらうことになって。今では毎日のように漁師さんが鮎やらウナギやらツガニを持ってくるのを捌いたり、加工品を作ったり、天然鮎の塩焼きもその場で焼いて売っています」。
食卓に鮎が出てくるのは四万十川流域では当たり前の光景。
その気分を少しでも味わってほしくて鮎の塩焼きの店頭販売を始めたそう。
焼きたての鮎は現地でのみ味わえる特権、今もなお人気の高い商品です。
取材中にも地元の鮎漁師さんが「お~い!」と鮎を持ってくる光景に遭遇しました。
手早く氷を敷き詰めたケースに入れ替え、重さを測っていきます。
「漁師も鮎もいなくなったら鮎市場って成立しないんです。私の役割はお客さんと漁師さんを鮎市場を通して繋ぐパイプ役だと思っています」と鮎市場を位置づける平野さん。
この言葉の意味を実感しました。

取材日の夕方に地元の漁師さんが降ろしに来た鮎の一部。全て「友釣り」で釣り上げたもの。

鮎市場で取り扱うのは鮎の塩焼きだけではありません。
鮎のコンフィ、鮎パエリアなど道の駅や鮎市場の加工品開発にも携わっています。
「商品開発は2016年にフランス料理のシェフと出会って、コンフィづくりがはじまりました。それを村田さんが作り方を覚えてくれて、今もコンフィに関してはその子が担当してる」。
村田さんは地域おこし協力隊で大阪からはるばる高知県西土佐にやってきた男性。
任期を終えた2019年から西土佐で『カリーとパスタ福喰(ふくろう)』を経営している。
「シェフみたいに考案して伝授してくれる人と、村田さんみたいに受け止めてくれる人、それから私らみたいに売ったり広めたりする人、たまたまこの地域に同じタイミングでおったけん成立しとる」と平野さんは振り返ります。

鮎のコンフィは新しい人との出会いが生んだ新しい鮎の愉しみ方(素材提供:道の駅よって西土佐HPより)

鮎の食べ方は“背越し(6月ごろに獲れる小さくて柔らかい鮎をリュウキュウなどと酢の物)”や“塩煮(落鮎という12月頃の鮎を塩で煮た料理)”といった伝統的な料理もあります。
上流~下流で獲れる鮎が異なることで流域ごとに浸透している料理が異なるのも四万十川という広域を流れる河川ならでは。
その多様さがこうした商品開発に挑戦し、受け入れる地域の懐に広さに繋がっているのかもしれません。

川も地域も循環している

「私が今心配しているのは地域のおじいちゃんおばあちゃんたちがいつまで元気でおってくれるかなってこと。漁だって野菜を育てるのだって簡単じゃない。みんな元気にやってくれよるけどこれって保証されているものじゃないから、ある時ぱたんと途絶えてもおかしくない。鮎パエリアも今はレシピを理解しているのは私だけだから、もし私が突然いなくなったら途絶えてしまう。商品は、変化していくのも良いと思うけど、その根っこの部分である漁とか、食べものを作ることが途絶えたら復活って難しいのよ」と平野さんはいいます。
今、多くの地域が抱える少子高齢化は食文化にもその影を落としつつあります。
その一方で地域おこし協力隊やUターンしてきた若者たちが漁を教わったり、加工品事業に携わっていることも事実。
川が循環して流れが続くように、西土佐では食や生産現場の流れも受け継がれつつあるのです。

ある日の四万十川。鮎だけでなく人まで自由に泳ぎたくなる。

 

📍道の駅 よって西土佐
高知県四万十市西土佐江川崎2410-3
HP:四万十川のてんねんグルメ・お土産|道の駅よって西土佐【公式】 (yotte.jp)(外部リンク)